エミリー・キャサリン
1927年という年はこんな年でした。アメリカでは世界恐慌が始まり、多くの工場が倒産し、失業者が町にあふれていました。
日本でも恐慌が飛び火し、工場の倒産、失業者が増えました。多くの失業者はふるさとに帰りましたが、農村も決して楽ではありませんでした。農民も借金が増え、娘を売ったりした悲惨な生活だったといいます。
ですから、たくさんの移民がアメリカにわたりました。失業者がたくさんいたアメリカでは、一日に一ドルで一生けんめいはたらく日本人に対する反感が高まっていきました。
新しい移民法案がアメリカの議会をとおり、日本とアメリカの関係はだんだんむずかしくなっていきました。
ギューリック博士は日本に20年間も住んでいた宣教師さんでした。
病気になってアメリカに帰ったギューリック博士は、アメリカ人が、日本人の移民を苦しめているのを見て、何とかお役に立ちたいと考えました。
彼が日本とアメリカを仲良くさせるには、「子供たちから始めるのが一番いい。」と、考えました。そこで、人形使節作戦を思い立ったのです。
ギューリック博士は、アメリカの全国の教会や小学校、幼稚園に手紙を送りました。その表紙には、日本の人形とアメリカの人形が仲良く握手している絵が描いてありました。
そして、「日本の「ひなまつり」の3月3日までに、友情の人形を送りましょう」という手紙をそえました。
この運動は、とてもたくさんの人々に支持されました。そして、たくさんの人形が寄せられるようになったのです。アメリカ中で集まった人形の数は、12,000にもなりました。中でも、オハイオ州では、もっとも多い2,283体の人形が集まりました。
佐喜浜小学校にとどいたエミリーは、このオハイオ州のシンシナティ市にある、エバンストン長老派教会というキリスト教の教会の婦人部の方々が送ってくださったものです。それは、エミリーにそえられている手紙からはっきりしています。