エミリーの孫娘「キャシー」


エミリーが1927年に来日し、戦火の中を生き延びたことを知った、
アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ市の長老派教会の婦人部の方が、
1987年にエミリーが異国で寂しかろうと送ってくださったエミリーの孫娘です。この人形にも手紙が添えられています。
重複しますが、キャシーが日本に来たいきさつをここに公開します。


■エミリーとの出会い


昭和62年(1987)4月、室戸市佐喜浜小学校に赴任した私は、前任の米倉益校長と、事務の引き継ぎをしていました。事務の引き継ぎが終わった時に、米倉校長が一つの古ぼけた木製の箱の中におさめられた人形を出してこられた。一見、男の手の姿をしているような人形で、背丈は31.5センチ、緑色の洋服は色あせていたし、首にはビ‐ズの粗末な首飾りをしている。それが、エミリ−・キヤサリンという人形でした。

名前から、女の子の人形だと分かりました。米倉校長のお話では、昭和2年(1927)に、アメリカの人々から贈られてきた人形の一つで、戦争中に多くの人形が廃棄されていった中で、残った数少ない人形であるという話でした。「これば、この学校の宝物です」と先生はおっしやいました。

■エミリーの手紙を頼りに


 エミリーが入れられている木箱を開いてみると、中に黄色に変色した封筒があり、今にも破れそうな手紙が一通人っていました。恐る恐る開いてみると、消えそうなインクで書かれた英文の手紙でした。この手紙から、この人形がアメリカ合衆国のオハイオ州シンシナティ市にあるエヴァンストンという長老派教会の婦人会から贈られた人形であることが分かりました。

私は、このエミリーのルーツを探ってみたいという思いに駆られました。六十年の歳月は経っているものの、まだ贈ってくださった方々が生存しておられるかも知れないと思ったからです。そこで、シンシナティのエヴアンストン長老派教会に、間い合わせの手紙を出してみようど思いました。

手紙の中には、エミリーの耳鼻、添付してあった手紙とパスポートのコビーを同封し、「もしこの人形を贈ってくださった方がおられましたら、どうかこの人形がどのようにして贈られたのか知らせてください」という手紙を添えました。さらに、封筒の表には、「この手紙は大変重要ですので、宛て先が不在の場合でも、どうか関係者にご転送ください」と記しておきました。

■初めての返事

 
この手紙ば、最終的には、元エヴァンストン長老派教会の信者だったヘレン・ヘイワードさんというご婦人に届けられました。私の手紙を扱ったシンナシティの郵便局ば、すでに廃止されているエヴァンストン教会に手紙を届けられず、近接した長老派教会に配達され、その教会の牧師さんが、ヘイワードさんが元エヴアンストン教会におられたことを知っていて、ヘイワードさん(現在77歳)に渡されたのです。

ヘイワードさんの手紙によると、「不幸なごとに、当時の教会の持人会の方々は転居なさったり、亡くなられたりして、まだ、見つかっていません」ということでした。また19年前にエヴァンストン教会は廃止されていました。ヘイワードさんのお母さんのクレアランス・ハエイワード夫人は1923年から1925年にかけて、婦人伝道協会の会長をなさっておられたとかで、人形を贈ったいきさつについて何か覚えておられないか、ずいぶん思いだそうと努力してくださいましたが、何も思い出せないようでした。

ヘイワードさんは、現在の教会の婦人会のメンバーの方たちと討論会を開いたり、さまざまな努力をしてくださいましたが、エミリーの消息はそれ以上つかめませんでした。ヘイワードさんばエミリーのパスボートの中に書かれてあるエミリーの出身地の番地を調べてみて、そこに「ユニオン・セントラル・ビルデイング」というビルがあって、その中に「伝道協会(THE FEDERATION OF CHURCH)があったこと、そしてそれが現在の「ザ・カウンシル・オプ・クリスチヤン・コミユニオンズ(THE COUNCIL OF CHRISTIAN COMMUNIONS)の前身だったことに気付き、その協会を訪ねてくださいました。

責任者のジエイムソンさんとおつしやる方が、エミリーに大変興味を示してくださり、協会に保存されているファイルを徹底的に調べること、当時の事情を知っておられる方々を探してくださること、を約束した、という知らせを受けました。

エミリ−のルーツ探しが、さらに軌道にのったと思い、とても嬉しく思いました。懸命の調査が続いているようで、「何か分かるのでばないか」という期待を抱いていました。協会からの手紙も幾通か届けられました。しかし、六十年という歳月ば、調査の進展を阻んでいるようでした。その間に、シンナシティの地方紙に、ワーウイックという女性記者が、エミリーについての論説を載せましたし、テレビやラジオでも、話題に取り上げられたようです。しかし、その後の情報ば、ばったりと途絶えたままでした。「やはり、60年という歳月は、本当に長かったんだな」と実感したことでした。

■ルーツは分からなかったが・・・


昭和62年(1987)7月は、エミリ−が私たちの学校に来てちょうど60年目にあたりました。学校では、あらためて子供たちにこの人形の存在の意味を知らせるいい機会だということで、歓迎60周年の式典を校内で行いました。私は朝会で、エミリーを児童たちに見せながら、どうしてこの人形が贈られてきたのか、戦時中にエミリーの仲間が多数壊されたのはどうしてか、などの話を致しました。

その後、ヘイワードさんから話を聞いた、シンナシテイの教会の婦人会が、エミリーの孫娘を贈ろうという話が持ち上がりました。ニーマンさんというご婦人が、日本旅行をされるついでに、その人形を持ってこられるということでした。京都に滞在される時に、その人形を受け取ることにし、私が車で京都のホテルまで受け取りに出かけました。

こちらはモダンな人形で名前はキヤシー。背丈二十四センチ、とても可愛い顔をしています。現在も佐喜浜小学校の校長室の戸棚の中で、おばあさんとともに住んでいます。

その後、クリスチヤン・コミユニオンズのお世話で、佐喜浜小学校と、シンナシティのロッツビーチ小学校との手紙の交換や、シンナシティの日曜学校の児童達との絵の交換など、交流が続きました。

エミリーを贈ってくださった方たちの直接のお話は聞くことは出来ませんでしたが、今でも太平洋を挟んで、草の根交流が両国の小学生の間で実現できたことは、エミリーの友情の使者としての仕事が現代にも生きていることの証(あかし)だと思っています。



エミリーのトップページ